Bhakti : 自然の摂理への愛,献身

Ahankara*アハンカーラ: Ego(何かから切り離されたわたし, 我欲)から, 切り離されていない全体性の調和へと愛を持って献身していくことで, 心からの願いSankalpaが自然の摂理の中で花開いて行くと言われています。




わたし自身, 献身のBhakti Yogaのessence, 智慧を学ばせて頂いたことで, わたしがから始まるストーリーから,

“わたし達”から始まるストーリーの中で, 仕事や, 人間関係, パートナーシップが愛に満ちていく経験を重ねています。




“わたし”は, 環境と人との相互作用によって存在していていること。 愛を与えることと, 受け取ることを一つに, 息を吸って, 吐くこと。    



breath in…

out…

smile for me and you.





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Jivamukti Yoga 講師のYuri Ogawa先生が素敵な訳を載せてくださっていました。

Jivamukti Yoga website: https://jivamuktiyoga.com

Yuri Ogawa website: https://yuriogawa.jp



ここに。


【Bhakti: What We Worship in June 2022】


-Bhakti バクティ(献身): 私達が崇拝するもの-

hare kṛṣṇa hare kṛṣṇa kṛṣṇa kṛṣṇa hare hare hare rāma hare rāma rāma rāma hare hare


ラーダはクリシュナを「私の心、体、魂、私の全てを捕らえた人」と呼びます。 クリシュナは最愛のラーダに愛情を込めて「私の王女、私の喜び」を意味するラマという名前で呼びます。これは魂(ラーダ)と神(クリシュナ)の間の愛の対話です。


- カリサンタラナ ウパニシャッド(32音節のマントラ)より

ジバムクティの伝統では、バクティ、献身は全てのクラスにおいて重要な要素です。

なぜなら、私達が自分自身やある種の神聖なエネルギーを超えた何かに意識して集中していなければ、時間の経過と共に形を変えながら、野心や虚栄心、傲慢などのありふれた課題に崇拝してしまうことになるかもしれないからです。

献身とは、神聖なものへの愛、忠誠、情熱を意味します。献身がなければ、おそらくあなたはこの記事を読んでいないだろうし、私も書いていないでしょう。

献身がなければ、ハネムーンフェーズ(何をやっても楽しい時期のこと)の後、膝や腰が痛くなり、練習後の幸福感は薄れ、スピリチュアルな実践をやめているかもしれません。私達を動かし続けるのはいったい何なのでしょうか?起き上がりマットを広げ、瞑想のためのブランケットを準備するのは何のためでしょうか?


崇拝は私達をより献身の対象へと近づけるでしょう。


練習を始める度に意図を定めるということは、ナビに目的地を入力するようなものです。


逆に、目的地を入力しないと、行きたくない場所にたどり着くかもしれません。目的地をナビに設定したらまず次のことを行う必要があります。

1.自身の道を知らないということを認めること(謙虚) 2.自身を導いてくれる存在に対して十分に信頼すること。

スピリチュアルな実践において、私達の道へと導いている力は、スピリチュアルな天然磁石となる神、もしくは他の形をとった神聖なエネルギーです。そしてそれに引き寄せられて、最終的にそれそのものとなります。

しかし、その導きを許すこと、それを求めるには

謙虚さ= 私達が知らないということを認めること、

信仰・信頼 = 私達が知的に理解できないかもしれない何かがあるということ、

献身 = たとえ努力が必要だとしてもその道に留まることが必要です。


人の身体はしばしば生涯を通じて求められる形を取る場合があります。

バレリーナの足はトゥシューズの形を取り、バイオリニストの首はバイオリンを支えるため常に横に傾き、彫刻を作る者の手はザラザラしています。


私達の身体が使い慣れたやり方で形作られていくのと同じ様に、私達の心と魂もそれに準じます。

私達の活動は私達の体を形作り、私達の感情は私達の顔を作ります。

私達はまるで石のように、長い時間をかけて水によって侵食されていきます。


私達が捧げるものは何でも、時間の経過とともにますます私達を形作ります。


それは、私達が神聖な、または愛を崇拝することに専念していれば、神聖な、または愛そのものとなるということでもあります。

崇拝とは非常に反復的な性質を持ち、同じ形式の儀式が現在でも、可能な限り最大の愛と献身をもって何度も行われています。献身とは通常倦怠感や強ばりを知らず、同じことをどれほど頻繁に行うかは気にしません。

献身は、それが最初または最後に実践された時と同じように、常に魔法をもたらします。


パドマジが言うように、「大きな愛をもてば、全てが可能になる」のです。


献身は最大の愛であり、それは間違いなく全てを可能にします。

または逆に–愛がほとんどない場合は、多くのことが不可能になります。

愛がなければ、スピリチュアルを熱望する全ての者は最初に立ちはだかる困難によって道から吹き飛ばされてしまいます。


献身のない練習は、油のないランプのようなものです。長くは続かないし、光をももたらさないでしょう。

マハーマントラは神への宇宙の愛の歌であり、最も喜びのある形で崇拝されています。

私達が完全に唱えることに専念すれば、愛するために唱え、その性質を思い出し、感動的な力をもたらして、私達が愛そのものとなります。

神の名を唱えることによって、私達は神の性質を思い出します。このマントラを通して振動する強い望みは、私達が唱えることで私達そのものになり、私達の魂は神またはその固有の神の性質と一致するための強い望みを思い出します。

献身には多くの顔があります。昼夜問わずマハーマントラを唱えて酔いしれることもそう、より静寂に満ちた、親密な場合もそう。


最初の太陽礼拝を行う前に神やグルを思い出すため、頭が心臓へと向けて少しお辞儀をする時も、小さいかもしれませんが献身です。

祭壇から物を丁寧に取り出して綺麗に繕う様に、献身は繊細でもあります。

おそらくそれは、ただ先生によって教えられたことをそのまま実践することを意味します。

私達の献身はこの人生の中で様々な形を取るかもしれません、そしてある時点でその崇拝はとても繊細になり、すでにその崇拝しているものそのものとなっているので、ほとんどは目に見えないのでしょう。


マルティーナ・エダー 訳: Yuri OGAwa